プロローグ
「店長、チケットを販売してみてはどうですか?」
かって個人で整体院を営むKさんは私にそうアドバイスしてくれました。
「チケットですか?」
「ええ、店長のところであれば結構売れると思いますよ」
「お店の業績を上げたいという思いは確かにありますけど・・・」
「でしょう。それならチケットを作って売るべきです」
それがどういうものかは分かっていました。遊園地の乗り物券、映画館の入場券などもチケットですが、リラクゼーション業におけるチケットは一般に回数券を指します。回数券のイメージは、喫茶店のコーヒーチケットを思い出せば分かりやすいでしょう。
Kさんは自慢げに話してくれました。 「うちの整体院では2種類の割引チケットを販売しています」
チケットの恩恵
チケットの恩恵は、まとまった売上を販売時に確保できると共に、チケットを買われたお客様のチケット消費までの継続的な来店(リピート)が期待できることです。Kさんの整体院では、6枚つづりと12枚つづりの2種類がありました。
施術1回が5,000円で6枚つづりは30,000円のところ26,000円、12枚つづりだと60,000円のところ50,000円になります。前払いで10回分の料金を支払うことによって2回の施術が余分に受けられる計算です。「何と1万円もお得!」というキャッチコピーが思わず頭に浮かびました。
「それでKさん、そのチケットは売れるのですか?」
興味本位に私がそう尋ねると、彼は気恥ずかしそうに笑いました。
「正直なところ、ポンポンと売れるものではありません」
「・・・」
「でも、それがたまに売れたりするのですよ」
まとまった売上が一度に手元に入るのは、たとえ個人の整体院でなくても嬉しいものです。整体院や治療院に限らず、多くのリラクゼーションサロンで回数券チケットが売られている理由に違いありません。
チケットへのアドバイス
Kさんはさらに熱心に私にアドバイスしてくれました。
「パソコンショップに用紙は売っているので、チケットは自分で作れます。お店にPOPを貼っておけば、たまにお金持ちのお客さんが反応してくれますよ」
「確かにそうかも知れませんが・・・」
業を煮やしている私を不思議そうに彼はみつめます。
「作ってさえおけばお店には何の損もありません。別段、POPを見て売れたらラッキーという軽い気持ちでいいのです。チケットの値引き額は自分で決められます。それで継続的な固定客が確保できると思えば安い広告費ですよ」
さらにアドバイスは続きました。
「あっ、そうそう。チケットには必ず有効期限を設けてください。その日を過ぎたらチケットが無効になるように」
「有効期限ですか?」
「ええ。少し不謹慎な話ですが、たまに期限が過ぎてもチケットを買ったお客さんが来ないこともあります」
そんなこともあるのかと私は目を丸くしました。1枚が5,000円相当です。
「まだ何枚か残っているのに来ないのです。その分は“丸儲け”です」
チケットの期限切れ。毎日よく行く喫茶店のコーヒーチケットでは生じにくいケースながら、チケット1枚当たりの値段はたとえ高くても、たまにしか訪れない整体院ではあり得そうです。
彼は決して不真面目な整体師ではありません。技術もあるからこそお客様もチケットを買われるのだと思いました。不謹慎と前置きしながらも、親身に自分の経験をアドバイスしてくれることは有難いことでした。
「いろいろとありがとうございます」
笑顔でお礼を述べてKさんとの話を終えました。しかし彼がどんなに勧めてくれても、私にはどうしても回数券チケットを躊躇する理由があったのです。
負債チケット
若い頃、サウナが大好きだった私はそれまで何度も訪れていたお店で入泉料の回数券チケットを買ったことがありました。初体験のチケット購入でした。料金は昔のことで記憶にありませんが、Kさんの整体院と同じく2種類のチケットがありました。
1回1,800円の入泉料が10枚つづりで18,000円のところ15,000円になるくらいの魅力があったかと思います。5枚つづりもありましたが、10枚つづりの方がお値打ちです。少し悩みましたが、月に2回は通っていたサウナ店なので思い切って10枚つづりを買いました。
ある日、いつものようにその店に行くと“臨時休業”の貼り紙がしてありました。数日後にまた訪れると今度は“廃業”の貼り紙に変っていました。窓ガラスが割られ、店内が荒れている様子が伺えました。よもやお店がつぶれるとは夢にも思っていませんでした。
チケットを利用して入泉したのは2回だけでした。あとの8枚が無駄になったのです。言いようのない奇妙な悔しさを覚えました。
どういう経緯でそのサウナ店が廃業に至ったのかは分かりません。しかし今になって感じる事は、あらゆるお店には、好むと好まざるとに関わらず、その事業の継続が困難になる事態が生じる可能性があるということです。
(予期せぬ何かが生じ、それによって万一自店の営業が不可能になった場合にチケットを買われたお客様を裏切りたくない)
それが回数券チケットの販売を躊躇する私の理由です。回数券チケットは見方を変えれば負債チケットです。お客様からの負債は抱えたくありません。
お客様への還元
どうせチケットを作るならお客様への感謝を込めて無償で配布するものに力を入れたい。私はそう考えました。そうして生まれたのが謝恩チケットです。
謝恩チケットは料金を値引きするものなので「料金Offチケット」です。自ずと販促にも結びつきます。これまでに何種類か作りました。集客のために広告宣伝費を使うぐらいなら、同じ予算をお客様に還元した方がリピートにもつながります。
私のサロンでは、2年前から正月に謝恩チケットを配っています。配布期間は元旦明け営業からの10日間ほどです。お店にご来店いただき、施術を受けられたお客様にもれなく渡します。今年の5月には限定200枚で令和元年の記念チケットも配布しました。
ひとたび発券されたチケットは、換金や返金に応じないのが普通です。謝恩チケットは無償なのでそれらへの気兼ねがありません。チケットのご利用はお客様への還元です。タダで貰ったものを返金してくれという人はさすがにお見えになりません。
“お守り”チケット
謝恩チケットは、紙幣よりすこし小さめで、財布に一緒に入れておくことができるサイズで作っています。後に紹介するギフトカード(ギフトチケット)も同じです。
(あっ、あのお店から貰ったチケットがあったな)
お客様が財布の中のチケットを目に留め、その瞬間自店を思い出してくれる。その意義は見過ごせません。すぐに忘れ去られることも往々でしょう。しかし、あの施術時の気持ち良さが意識に一瞬でもフラッシュすれば、もう一度行ってみたいという衝動に結び付いてくれます。
謝恩チケットはお客様にお店を思い出していただくための“お守り”です。だから相手に持っていてもらわないと意味がありません。財布の中にお札と一緒に入れていただくことが大切なのです。
当サロンの女性セラピストはお客様への便宜を少しでも図ることが優しさであり大切と考えている傾向がありました。せっかくの謝恩チケットをポイントカードと同じくお店で一緒に預かってしまい、常連のお客様に渡さないことが度々ありました。
それまで何度も足を運んでくださった常連のお客様であっても、突如としてお見えにならなくなることはあります。他にも素晴らしいお店はあり、凄く上手なセラピストだっているかも知れません。「あの人は必ず当店に来てくださる」といった驕りに任せて油断していてはいけません。
「これはお店からお客様に感謝の品として渡しているチケットです。もし受け取らないお客様には渡さなくても結構です」
私はそう言い切りました。謝恩チケットを出しているのがそのセラピスト本人なら自分の判断で預かってもよいでしょう。しかし、わずか300円の値引きであってもその負担をしているのはお店だということを分かってほしかったのです。
セラピストへの還元
特殊な謝恩チケットとして「指名料Offチケット」があります。やはり無償でお正月などに配ります。
指名料Offチケットは、個人指名料や男女希望料が無料になるものです。一見お得になるのはそのチケットを利用されたお客様のようですが、個人指名料はそのままセラピストの報酬になります。実のところセラピストにもお得になるのです。
料金Offチケットがお客様への還元であるのに対し、このように指名料Offチケットはセラピストへの還元を意識しています。普段は指名されないお客様に指名の利用を促す効果があります。
リラクゼーションセラピーは本来、お客様とセラピストとの信頼関係を基礎とします。何度かサロンに通ううちに自分に合うセラピストを見つけ、指名料を支払って一対一となるのがあるべきスタイルだと考えています。
「誰にやってもらっても上手でハズレがない」といった人気サロンでは個人指名にまで手が伸びる機会は減ってしまいがちです。男女希望料は指名相手が特定されないのでお店の収入になりますが、このチケットによって、セラピストへの個人指名が増えることが期待できます。
値引きの限界
低料金サロンにおいて、300円Offというチケットは意外に大きなディスカウントであると言わねばなりません。それ以上の値引きや、あるいは販促目的でディスカウントを常態化しているお店では、セラピストの技術が低く集客が弱いのではないかと疑ってしまいます。
当店はポイントカードでも来店の都度50円の値引き相当を実施しています。メニュー、料金に関わりなく6回ご来店の都度300円Offクーポン利用可となるからです。ちなみにこのクーポン利用はご来店数に対するお客様への感謝なので、他の値引きや割引と併用できます。
10分当たりの施術単価が800円ベースの中料金サロン、さらには1,000円ベースの高料金サロンでは、自前の設定料金に対して大きな値引きや割引サービスをアピールできるかも知れません。しかし同600円ベースの当店のような低料金サロンではこのあたりで目いっぱいです。
料金を越える質の高さは、リラクゼーションサロンが繁盛店を目指す基幹的な条件です。低料金サロンにも関わらず、セラピストの技術が中・高料金サロンに引けを取らないレベルであればお客様は強い魅力を感じます。謝恩チケットを発行する意味は、あくまでも感謝の思いであって集客は二の次でしかありません。
謝恩目的への配慮
謝恩チケットとしてお渡しする以上、そのための配慮が必要です。たとえば一般に値引きチケットの多くは他の料金割引との併用ができません。当店の料金Offチケットにもその定めはありますが、ポイントカードのクーポン利用や他のチケットとのからみで実制約はほとんどありません。
指名料Offチケットはそもそも併用が可能です。「今回は施術料金を値引きすることになるので指名料のサービスは次回で」といった使われ方では、販促的色合いの強いチケットになってしまいます。
チケットとしての有効期限は定めますが、たとえば当店ではお正月に配った謝恩チケットであれば期限後であっても、その年度中は持って来て頂ければ100円を値引きすることにしています。それは年初に「今年もよろしくお願いします」と感謝の思いを込めてお客様に差し上げたものだからです。
Offチケットや割引クーポンなどで、たとえば飲食業であればランチタイムには使えなかったり、小売業であれば1,000円以上のお買い上げという条件があったり、あるいは他との併用ができないというのはいずれも販促目的が優先されているためです。それが普通であり、むしろ謝恩目的を優先させているチケットの方が稀なのかも知れません。
セラピストからの要望
「ご希望のお客様がいらしたのですが当店には無いとお断りしました。お店のギフトカードを作ってもらえませんか」
数年前、一人の女性セラピストからその要望があった時、私は体よく断りました。ギフトカードとはギフトチケットのことです。サイズも謝恩チケットと同じです。慣例的に、当店ではそう呼んでいます。
「いずれ必ず作ると約束します。でも今は忙しくて余裕がありませんので我慢してください」
「わかりました。よろしくお願いします」
ギフトカードは通貨代用証券であり、言わばお金と同じものであることから運用や管理が面倒だと考えていました。でも本当は、ギフトという希少なニーズよりも、より重要度の高い事柄が他にいくらでもあると錯覚していたのです。
(当店を気に入って下さったお客様が、自分の家族や友人に当店のリラクゼーションセラピーを贈り物として届けたいと希望される)
ニーズは希少でも貴重だと気付き、先延ばしにしていたギフトカードを作ったのはそれから2年以上も後です。皮肉なもので、ギフトの要望をかなえた時には、その女性セラピストはもうお店を辞めていました。
個人で整体院を営むKさんとの会話がキッカケとなって謝恩チケットを作り、さらにその事でギフトのチケット(ギフトカード)について考え直す機会を得たことになります。
ギフトカードの特徴
ギフトカードの料金は、通常の施術料金とそのまま同じです。チケットとしての印刷費や手間賃などは含めません。その代わりにそのまま料金と引き換えでお渡しし、ギフトのラッピングはお客様ご自身にお願いしています。
スタンダードなギフトカードに始まり、今では父の日や母の日、敬老の日、七夕やクリスマスなど、贈答相手や目的に応じた様々なデザインのチケットを用意するまでになりました。
ギフトカードもまた負債チケットです。料金をあらかじめ受け取っているので施術の責務が残ります。なるべく負債は抱えたくありませんがギフトへのニーズは別ものです。回数券チケットのように値引きや一括売上が目的ではありません。ただし負債である以上、きちんと責務を果たす必要があります。
ニーズへの対応
ギフトカードを買われたお客様の日付、氏名、チケット番号及び種類、発券者、施術内容、料金、連絡先などと共に、責務を終えた施術日や担当セラピストなどを把握します。チケットの発行から回収までのトレーサビリティ(追跡)が大切です。
チケットには一枚ずつ固有番号が記してあるので偽造や変造がしにくく、仮にあっても不届きな相手をすぐに見抜くことができます。
ギフトカードを使用前に紛失した場合には無償で再発行しています。それができるのもトレーサビリティのおかげですが、万一の際にもお客様の思いを無駄にすることがありません。
つい1ヶ月ほど前ですが、お母様へのプレゼントにぜひ当店のギフトカードが欲しいと一度に5枚も買われたお客様がおられました。ギフトが望まれ、そして、売れるお店。リラクゼーションサロンとしてそれは一つの勲章であり嬉しい事でした。
気を良くした私はこの12月に、クリスマスギフト発売中のPOPを先日まで店内に貼り続けました。相応に来店客はあったのに、果たして1枚もクリスマスギフトは売れませんでした。分かってはいましたが、回数券チケットを薦めてくれたKさんの言葉どおり、ギフトカードもポンポンと売れるものではありませんでした。しかし少しも残念には感じません。
ルールをしっかりと定め、いざギフトカードを作っておけば、お客様からの希少ながら貴重なニーズに応えることができます。それはリラクゼーションを業として行なうサロンとして大切なことであり、同時に当然のことだと思っているからです。
◆ ◆ ◆
回数券チケットや謝恩チケット、ギフトカードなどをWatchしてみました。サロンやセラピストの皆さまにはチケットの目的や狙いを見直すヒントになれば幸いです。いずれも著者の個人的な見解です。長文をお読みいただき、ありがとうございました。
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